旧大國家住宅(国指定重要文化財)
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宝暦10年(1760)に創建された旧大國家住宅は、「比翼入母屋造」の屋根形式をはじめ、随所に珍しい特徴を持つ大型の民家です。平成16年(2004)に、国の重要文化財に指定されました。
歴史
先祖書きによれば、大國家の祖先は、大森新四郎道明という人物で、備中辛川城(現、岡山市西辛川)の城主の弟であると伝えられています。道明は戦国時代の終わりごろに和気に移住し、農業を営みました。また、大國家はもともと「大森」と称していましたが、幕末から明治時代にかけての7代目当主・武須計道善(ブスケミチヨシ)の時代から「大國」の姓を使うようになりました。
現在の大國家のはじまりは、延享5年(1748)、道明から数えて7代目にあたる、武介満體(ブスケミツモト、1710-1773)からです。享保12年(1727)、18才で運送業と酒造業を興した満體は、延享4年(1747)に分家し、尺所村に居を構えました。大國家住宅の創建については、覚書や柱に残る墨書から、満體が当主であった、宝暦10年(1760)のことと判明しています。
代々の当主は家業に精を出すかたわら、文人と交わり、大國家は地域文化の一翼を担う存在でもありました。また、藩に運上金を指し出し、金剛川に橋をかけ、困窮した家々に食糧を施すなど、社会的な事業も行い、幕末には尺所村の大庄屋格を務めました。
平成21年度から、大國家文書の解読が本格的に開始したことで、大國家や和気地域内外の歴史と文化が一層明らかになることが期待されます。
満體絵巻(部分)
初代当主、満體と家業について描いた絵巻物。馬と高瀬舟を使った運送業の様子が描かれている。
高瀬舟の帆に描かれているのは、大國家が用いた商業用の紋。
住宅の特徴
主屋(宝暦10(1760)年創建)は、約18m四方のほぼ正方形の形をしており、2つの入母屋造の屋根の中央部分を切妻造の瓦葺屋根で連結する(上から見るとエの字型をしています)「比翼入母屋造」という、全国的にも珍しい独特の平面構造となっています。
主屋の屋根(東側より撮影)
18世紀後期創建の二間からなる離れ座敷を、享和元(1801)年に1階が座敷、2階が蔵という造りの蔵座敷に改築しました。現在のような数寄屋風の意匠になったのは、嘉永年間(1848~1854)と考えられています。
18世紀後期創建の二間からなる離れ座敷を、享和元年(1801)に1階が座敷、2階が蔵という造りの蔵座敷に改築しました。現在のような数寄屋風の意匠になったのは、嘉永年間(1848~1854)と考えられています。
蔵座敷内の通称「御成りの間」は、家人でさえ滅多に立ち入らない賓客用の部屋で、屋敷内で最も格式の高い洗練された装飾がほどこされています。
スギやヒノキといった高級材の使用はもちろん、違棚下の框にはフナ虫に喰わせてできた穴に胡粉を塗り込んだ材を用いるなどのこだわりが随所に見受けられます。また、「御成の間」の襖は、四代目当主、大森武右衛門森斐(号・黄谷)が描いた亀と、井上端木(1768~1840)という備中倉敷の文人が描いた鶴の絵で飾られています。
大國家には、天保年間(1830~1844)を中心に、藩の関係者が何度か宿泊しています。泉水(庭池)や襖絵が、そうした賓客の目を楽しませたことは、大國家に伝わる古文書からも窺うことができます。
御成の間
「御成の間」から外を臨む